主屋 旧内野家住宅 内野家はもとは京都の出身です。大阪夏の陣の功績により荏田に 領土を与えられ、それ以降現代まで続く旧家です。 旧内野家住宅は港北ニュータウン事業の中で昭和55年に せせらぎ公園内に当初の形式に近い形で復元されたものです。 建設年代は手法よりみて江戸時代中期〜後期と推定されます。 復元された間取りは「広間型三間取り」と言い、 当時の農家の特長が伺えます。 土間と広間鏡の中央部に設けられた背の低い板壁は「タキギヨケ」と言い、炉部の落ち着きを保つ(或は、タキギを隠す)ためのものであるらしく、横浜付近の民家独特のものとされています。 屋根は萱葺きであったものを公園内で保存管理上、 外形を萱葺きの形を踏襲し、銅版葺としています。 長屋門 旧小杉家長屋門 この長屋門は、安政6年(1859年)に建築され、 東京都目黒区にあったものです。 当主が横浜に深い関わりがあったため、希望により 横浜市に長屋門の長屋である脇部屋を取り除いた門部分だけが 主屋に合わせた形で(昭和54年)移築されました。 |